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DATE: CATEGORY:真相の深層

 

 

「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

 

戦争責任者の問題

 

伊丹万作

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

  最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。

  そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

  さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

  すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

  このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

  たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。

  少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

  いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

  しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

  そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

  いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

  もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

  しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

  ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

  もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

  だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

  しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

  だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

  もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

  また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

  つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

  そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

  このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

  そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

  それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

  我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

  一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

  こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。

  こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

  しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。

  すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

  しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。

  いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

  しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。

  たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

  もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。

  このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

  では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。

  では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

  私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

  昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。

  そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。

 「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

  つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

  しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。

  なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。

  しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。

  要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

  それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。

  最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。

 「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。

  ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

  そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。

  しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。

  なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。

  では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)

 (『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

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日本で抗がん剤を使う理由 


 


 


 


20160611() 221256 テーマ:■ アトピー性皮膚炎対策


 


日本で抗がん剤を使う理由


 


元のブログはこちらです。


→新・春子の今日のお話 ぜひ読んでみてください。


 


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日本の医療は最先端だと思っていましたが、10年は立ち遅れています。


 


これは日本を出ないと気付かなかった事です。向うの末期がんの患者さんは明るいです。日本の末期の癌患者さんと、アメリカの違いは明るいんです。


 


なぜなら、治ると思っているから。特に医療のシステムとガンの治療法が違いますね。


 


【癌は治らない病気だと教わるのが常識の医師】


 


日本では癌は治らない病気ということになっている。日本プラズマ療法研究会の研究員で、元国立がんセンターの初代総長を務めていた島村医師が自分の患者さん6000人について、術後10年後どうなっていたか調べたそうです。


 


すると、驚いたことに、100%全員亡くなっていた。


 


そこから、島村先生は限界を感じ、療法を工夫されたそうです。


 


【日本で抗がん剤が使われる理由】


 


アメリカ食品医薬品(FDA)は、抗がん剤を禁止しています。なぜなら、ガンを逆に多発化させるからです。


 


抗がん剤の正式名称は、「遺伝子合成阻害剤」。海外ではそう呼ばれているけど、日本では呼ばれていません。


 


抗がん剤は、癌を多発化させるので使用を禁ずるとあるんです。15年ほど前からです。WHOも抗がん剤使用を自粛するように通達しています。


 


ところが日本では厚生労働省が通知をしていない。役所にどうして通知しないかと問うと。


「市場在庫があるから」という答えでした。


 


患者は在庫を処理させられているんです。その在庫は、日本の在庫ではなく、アメリカの在庫です。


 


抗がん剤の特許はアメリカ企業で、アメリカで売れなくなったので日本に流しています。


 


日本のガンビジネスは、世界的に見ても最凶最悪の醜悪なビジネスです。ガン患者に、絶望と不安と激痛と死を与えるビジネスなのです。


 


回転式本部やアメリカのガン患者は、皆明るい。なぜなら、治ると思っているから。


 


ガンは、乳酸アシドーシスを改善していけば治る!ガンは、身体の酸化を還元する、つまり電子を失った身体に電子を与えていけば治る病気です。


 


だから陶板浴や水素療法やプラズマパルサーやAWGや重曹などで治ってしまうのです。


 


ハッキリ言えば、ガンはその程度の病気なのです。(←これを言うと嫌われる!)


 


日本のガンビジネスは、抗がん剤(マスタードガス)などでガン患者を殺し続け、ガンで死んだと信じ込ませるビジネスです。


 


日本は欧米で毒薬だとバレた薬やワクチンの最終在庫処分場です。人を殺したり、人に障害を与えるとバレてしまった毒薬を捨てずに、家畜扱いしている日本人に押し付けているのです。


 


子宮頸がんワクチンや血液製剤、抗がん剤などが、その代表です。エイズやギランバレー症候群、乳酸アシドーシスになろうが、死のうが、別に日本人ならいいか!という感じです。


 


日本の医者はバカで無慈悲だから、同胞を殺しまくっても何も感じないし、日本人はおとなしいから文句も言わないだろう!とナメているのです。


 


日本の医者は自分や身内のガンには抗がん剤を使用しませんが、他人であるガン患者にはバンバン使いまくります。


 


マスタードガスで患者を殺しまくっても法で罰せられませんし、むしろ国から推奨されています。最終的に悪事がバレても、「自分たちは知らなかった!」で通すつもりです。


 


日本では、毎日千人くらいが、病院で殺されています。


 


日本では、ゴミを路上に捨てたり、浮気したり、飲酒運転したりすれば、極悪人の様に批判されます。それだけ日本人は潔癖です。製薬会社や医者のやっている事は、そんな事とはレベルが違います。


 


医者や薬が病気を治してくれる!と信じている人たちを、騙して殺しているのです!何百人も、何千人も、何万人も、何十万人も、何百万人も、殺しているのです。


 


なぜこんな極悪な行為を許しているのか、理解に苦しみます。これ以上の悪行は思いつきません。


 


日本の医者の多くは、連続殺人犯など足元にも及ばないほど、ケタ違いに人を殺しています。


 


洗脳と無知の恐ろしさを、本当に思い知っています。ガン宣告されても、絶望しないでください。ガン宣告されても、医者の脅しに屈しないでください。ガン宣告されても、手術・抗がん剤・放射線被曝をしないでください。


 


自分は死にたいのだ!という人ならいいですが・・・。ガンは乳酸アシドーシスなどで、身体が酸化していく病気です。酸化を止めなければ具合が悪くなり、いずれ死にます。


 


酸化を止める、酸化を還元するのは、特に難しいわけではありません。陶板浴・水素・プラズマ・電子治療器・アーシング・食事療法・温熱・光線・テラヘルツ波などを駆使すれば、改善していく可能性が高いのです。


 


メディカルカッピングで、原始的に乳酸を取り除く方法もあります。


 


日本のガン患者の多くは、抗がん剤などで殺されています。ガン治療で殺されているのを、多くの人はガンで死んだ!と信じ込まされているのです。


 


欧米で有害と暴露された毒薬を、日本人は強制的に投与されて亡くなっているのです。その最悪な治療を避ければ、かなりの高確率でガンは治ります。


 


ガンを治す方法は幾つもあるし、それらを組み合わせる事も可能です。それを知っている治療家やガン患者は、笑いながらガン治療をしています。


 


人類がガンを克服できないのは、支配者・製薬会社・医者が殺人的なニセのガン治療を強制しているからです。


 


ガンが怖いのではなく、支配者・製薬会社・医者と正規のガン治療が怖いのです。


 


すべては、詐欺・イカサマ・八百長だったのです。人類はガンを克服できるのに、克服できないと信じ込まされているだけなのです。金儲けと人口削減のために・・・。


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以上ここまで。

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日露首脳会談とプーチンの山口訪問の深層


 


ウラジオストクにて日露首脳会談が行われました。


 


表向きの会談内容は巷のニュース記事に委ねます。当ブログでは、5月のソチ(このときは非公式)および今回のウラジオストクの会談、ならびに12月に予定されているプーチンの訪日の背景について考えます。


 


 


◆アメリカ大統領選はトランプ優勢


 


アメリカの経済状況は決して良いとは言えません。アメリカ百貨店の最大手でもあるメイシーズが全店舗の15パーセントにもあたる100店舗にものぼる規模の閉鎖を発表したり、失業者もEU平均の10パーセント程度となっている状況です。


 


またアメリカのバブルも崩壊寸前となっていますが、FRBは金利を上げてバブル崩壊の阻止に向かうでしょう。そうなれば、ますます国民の暮らしは圧迫され、こうした状況からトランプの支持が今後もさらに高まる可能性があります。


 


また、トランプは911の真相を知るスノーデンを匿っているロシアとも通じており、戦争屋・CIAにしてみれば首根っこを掴まれているようなものです。


 


 


 


◆軍事力・諜報力世界一のロシア


 


今や、軍事力や諜報力においてロシアに敵う国家はありません。


 


・ロシア軍事技術~巡航ミサイルや軍事衛星を無力化する無線電子技術による防衛システム


 


・黒海ではロシアの潜水艦にを恐れてアメリカ空母が逃走


 


アメリカ(戦争屋・CIA)はロシアに手を出したくても出せないのです。


 


 


 


◆安倍・田布施はロシアについた?


 


アメリカ・戦争屋・CIAの属国の日本・安倍が、今年すでにプーチンと2回の会談を済ませています。これはアメリカ・戦争屋・CIAも容認済みの出来事と見てよいでしょう。上記と、このことから類推すれば、世界の主導権はすでにロシア・プーチンが握っていること、アメリカと日本における首脳周辺は、プーチンの特殊部隊によって戦争屋勢力が掃討された可能性が非常に高いと見ることが出来ます(残るはマスコミ、官僚あたりか)。そして11月のアメリカ大統領選は、トランプの勝利となる。


 


そのような世界情勢にあって、アメリカがすでにロシアに主導権を握られているのであれば、日本も例外ではないでしょう。そしてプーチンが安倍の地元である山口に赴くということは、田布施勢力も含めてロシアが取り込んだ、つまり安倍と田布施がロシア側に軸足を舵を切ったことを示すパフォーマンスと見ることが出来るでしょう。


 


当ブログでは、裏も含め天皇家はすでにロシア・中国についたと見ています。(参考)


 


このように、日本の大勢もまた世界のパワーバランスの中に取り込まれていくことになります。それが何を意味するのか。継続して追求していきたいと思います。

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選挙結果を見ると、市区町村毎の得票率もほぼ同じ。


 人工的な開票結果だ。


 市民団体の調査との乖離も無視出来ない。


 


 


 「不正選挙を訴えない選挙の無意味」(リンク)からの引用です。


 


 


 市民団体が都内5箇所で街頭調査をしたらしい。その結果に目を見張る。


 


 (回答者は4300人) ①鳥越氏73%②増田氏13%③小池氏10%・・・投票日前


 


 鳥越候補196人(70%)、小池候補33人(12%)、増田候補23人(8%)、その他候補28人(10%)」・・・出口調査


 


 小池の偽圧勝を完全否定する結果である。違うにも程がある。不正選挙の繰り返しで国民は怒りのエネルギーが蓄積している。従ってこのエネルギーの受け手が現れた時、そこに一気にエネルギーが集中する。鳥越の圧勝振りは納得が行く。国民の不満のエネルギーが偽淫行報道くらいで小池に向きを変えるなどと言う事はあり得ない。小池の不人気ぶりは実感と一致している。今時小池などに何を期待するのだ。政治屋小池の経歴は既にかなりの長さだ。国民が小池に新鮮さなど感じる事は全く無い。政治的能力にも何も期待していない。政治屋の評価など一定時間が過ぎれば、国民は本能的に分かる。今回は新顔の鳥越に国民は新鮮感を感じた。鳥越に改革の本気を感じた。市民団体の街頭調査は国民の実感に一致している。こういう調査をもっと大規模に行うべきなのだ。その時、黒マスコミの調査は信用できないという事を国民にはっきり言うべきである。その事で国民は強く反応する筈である。


 


 世界最悪供託金を課した日本の選挙は初めから真っ黒選挙である。欧米では供託金は0か極めて少額である。0が当たり前である。0だからこそ普通の市民の立候補者が現れ、それを支持する集団が形成され政党ができる。世界最悪供託金完全撤廃で日本の政党の風景は全く変わる。必ず国民全国政党が現れる。こういう政党は不正選挙の監視も徹底するから、もうムサシ選挙など不可能になる。今回のような都知事選は必ず不正選挙だと声が上がる。この事だけで黒マスコミはお手上げになる。これだけ明々白々たる不正選挙が繰り返されてもどの政党からも声が上がらないのは、そもそも世界最悪供託金真っ黒選挙だからである。選挙の根本から誤っていて、そこを放置していては真っ白にできる訳が無い。根本の誤りに目を向ける事で、真っ白選挙を求めるエネルギーが湧き上がる。黒い舞台の上で不正選挙追及ができる筈がない。まず舞台そのものを真っ白にしなくてはいけない。創価だ幸福だと維新だと妙な政党が出てきたのも、舞台が黒いからである。普通の国民が上がれない舞台にしているからである。


 


 仮に鳥越が勝っていたところで、この舞台自体の問題を直さなければダメなのである。鳥越は真っ黒舞台に上がって勝つ訳がないのである。今後は真っ黒選挙、不正選挙を訴えながら選挙をする必要がある。余りにも無知過ぎる。不正選挙の為に50億円を使った馬鹿馬鹿しさを考えるべきである。国政選挙となれば何百億円である。ほんといい加減にするべきである。




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お上の暴走が酷くなればなるほど、人々の思考が解放されてゆく
 
岡田淳三郎 ( 70代 経営 ) 16/01/10 AM10 

追い詰められた金貸しは、戦後奇跡の復興を遂げ、生産能力も資金蓄積も豊かな日本の再占領に乗り出し、一気に実現してしまった。それが、小泉フィーバーの演出を皮切りとする、(従来から支配してきた)官邸と司法とマスコミの完全占領の工作である。金貸しとアメリカに完全服従したお上とマスコミは、彼らの言いなりになってTPPを推進し、原発事故でも医療でも常に事実を隠蔽し、嘘をつき続けてきた。しかし、国家権力とマスコミを総動員しても、大衆の反原発・反TPPの意識を変えることは出来なかった。そこで、政権を失うことを恐れた彼らは、遂に不正選挙という禁じ手に手を染め、それ以来、彼らは偽りの絶対多数に物を言わせてやりたい放題に振舞っているように見える。

しかし、それはもはや不正選挙によってしか政権を維持する道が無くなったということであり、そこに見るべきは、そこまで追い詰められた金貸しとお上の姿である。とりわけ、不正選挙は「民主主義」の根幹を破壊する暴挙であり、それは(「民主主義」を支持してきた人々にとって)秩序の崩壊を意味する。そして、秩序崩壊は、本能の最深部を直撃する。
今や、社会の混迷と閉塞は誰の目にも明らかであり、国民の過半は、もはやお上やマスコミの言うことを信じていない。社会に対する危機感と不整合感は募る一方であり、社会統合期待も上昇する一方である。
そこで、本能を直撃された人々は、お上やマスコミに頼るのを止め、自分で情報を探索し、事実を追求し始めた。そして、利権を貪ることしか頭にない旧勢力(金貸しに隷従する官僚や学者やマスコミや大企業)を尻目に、人々は’15年、遂に思考停止から脱却し、自分の頭で物を考え始めた。
それは思考の解放であり、かつ不可逆な解放である。お上の暴走が酷くなればなるほど、人々の危機感と不整合感が強くなり、思考停止は解除されて思考が解放されてゆく。







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