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DATE: CATEGORY:小泉売国奴政権
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年次改革要望書が生まれた経緯
 今、日本の国民は現状の壮絶な格差社会や、一向に上向きにならない景況感の理由が、小泉政権の行なった“構造改革”にあるのではないのかと思い始めている。今夏の参院選での自民党大敗北は端的にそのことを裏付けた結果となっている。しかし、この参院選の結果を単純に小泉-竹中構造改革路線の破綻と受け止めていいのだろうか。私は短兵急なその見方には懐疑的である。確かに国民の総意は小泉路線、及びその継承路線である自民党清和研究会(町村派)の方針に“ノー”を示した。しかし、この結果は国民、特に地方在住の人間が小泉構造改革路線の非を認めたことは確かであるが、その本質を分析し、理路整然とした判断の下に行なったと考えるのは時期尚早であると思う。

 参院選の結果を出した人々を馬鹿にするわけではないが、彼らは格差を肌身で感じ取り、そのあまりのひどさに対して本能的に反応したという方が正確だろう。彼らは小泉政権の本質を見抜いた上で自民党に“ノー”を突きつけたというよりも、誤った政策がこのような惨憺たる結果をもたらしたというレベルで捉えているような気がする。しかし、ここで真剣に考えてもらいたいことがある。それは、小泉政権が行なったマクロ政策とは、従来政策路線の延長上で行なった政策上のミスリードではなく、アメリカの意志に忠実に沿って行なわれた結果だったという事実である。このことを真に認識しなければ、今後、新たな政権が成立しても、日本は同じ政策上の愚行を延々と繰り返すことになるからだ。

 日本人の社会に対する考え方は、いい意味でも、悪い意味でも、現状維持的というか保守的である。この感性が多大に影響しているために、国民は小泉改革に対してもこれは保守政治の一環として受け止めてしまい、アメリカによる日本国家の構造改変だという本質にはまったく気付いていないように思われる。その意味でも、村山談話を忠実に踏襲するような小泉元総理大臣が、靖国神社を参拝したという見せ掛けの行動が国民に誤まったメッセージを与えた影響は非常に大きい。小泉氏は靖国神社参拝を公約、実行したことで国民に保守本流のイメージを与え続けた。そのおかげで国民は小泉氏が行なった米国傀儡政権の売国本質を見逃してしまったのである。無論、これにはマスコミの小泉政権持ち上げ姿勢が最大の功を奏したことは見逃せない事実である。それでも日本の宰相が8月15日に靖国を参拝するなら、それなりの国際的メッセージとして意味があったが、その肝心な公約は破棄して中途半端な参拝だけは実行していた。これが国民を欺くパフォーマンスだったことは言うまでもない。

 国民が真に理解しなければならないのは、小泉政権の本質が『年次改革要望書』を最大限に実行したアメリカの傀儡政権であったという事実だ。ここで私が言いたいのは、年次改革要望書が、ただ単に最近アメリカからもたらされた内政干渉だというように受け止められているきらいがある。関岡英之氏によれば、この要望書の発端が、1989年(宇野宗佑)のアルシュ・サミットの際に行われた日米首脳会談の席上で決められた『日米構造協議』にあったと言う。小泉構造改革の内実が“聖域なき規制緩和”にあったことは周知の事実である。しかし、国民はこの規制緩和・規制撤廃について、あまりにも無神経、無防備ではなかっただろうか。問題はこうである。日本の事業や商習慣を縛るさまざまな“規制”がどうして存在しているかについて、政府はいっさい説明しなかったし、国民もそれについて考えることをしなかったという事実だ。

 規制というものはそれが存在する蓋然的な理由があって存在している。けっして一部の官僚が自己利益のために編み出した法体系ではない。我が国特有の商習慣や然るべきルールの必要性があって生じている。この規制が時代の変遷や社会構造の変化に応じて硬直化し、無実化するということは当然起こるだろう。それは逐次修正的に改善していけばいいことだ。ところが、小泉政権が行なった規制撤廃は、何の理由もなく規制そのものが世の中の進歩や効率性を阻む前近代的な悪習と決め付けて、無秩序に壊すことを急いだのだ。そして、相当数の規制を無意味に破壊した結果が、現状の超格差社会への変貌だった。国民が真実を知って反省すべきことは、アメリカの年次改革要望書に従って我が国固有の規制を破壊した結果が、現今の望まない社会の出現だったということだ。小泉政権の最も顕著なペテン性は、粗暴な官僚悪玉論と規制悪玉論である。この政権はこの無謀な定立によって日本の体制を破壊してしまったのである。この無謀な定立の根拠となったテキストが年次改革要望書であった。

 年次改革要望書は関岡英之氏が「拒否できない日本」で世間に問いかけてから、最近では急速に国民に知られてきている。しかし、この要望書の存在を知っている人でも、この内政干渉的指導書の歴史的経緯を知っている人は案外少ないように思われる。実は年次改革要望書の歴史的発端は前述したように日米構造協議に遡ることができる。東西冷戦構造下の80年代後半まで日米間の最大の懸案は貿易摩擦であり、アメリカの怒号は熾烈なものだった。繊維、テレビなどの家電、自動車、牛肉、オレンジなど個別の物について、アメリカは日本の輸出入の姿勢に難癖をつけてきた。競争力の原則から言えば、日本の製品が高品質で低コストだから売れるのは当たり前のことだったが、アメリカはそれを認めず、徹底して日本の社会構造や商習慣が悪いと決め付けた。実は日本が自らの主体性を失い、アメリカの勝手な論理に蹂躙され、呑み込まれたのはこの時点である。ブッシュ・シニア大統領時代の「日米構造協議」は、1993年のクリントン政権に至って「日米包括経済協議」になった。

 原田武夫氏の『仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理』を参照すると、ここでアメリカは経済目標を具体的に数値化することを日本に求めたが、さすがに日本はこれに強い反発を示した。米国製の製品をある時期までこの台数で買えなどということは自由貿易の精神に反するということだ。米国は日本の熾烈な反発を見て戦略を変更した。日本市場が構造問題を抱えているのは “日本政府”がマーケットに介入し、いたるところで規制していることが元凶になっているからだという論法を駆使した。要するに日本は政府が市場に必要以上に介入する“大きな政府”になっているから極力政府介入を解除しろという話である。ここにおいてアメリカは日本にはっきりと新自由主義への政策転換を奨励という形で押し付けている。これを阻害しているのはひとえに日本固有の伝統的商習慣や構造であるという不当な指摘であった。問題はこの段階で日本人がアメリカの論理を受け入れてしまったということにある。日本には日米同盟による核の傘下で守られているという負い目があり、アメリカによる強気の内政干渉に逆らえない空気になっているというのが最も大きな理由であろう。もう一つの理由は同盟国のアメリカが日本国益を損なう政策を押し付けるはずがないという、言わば思考停止的な思い込みや希望的観測が日本側にあるのかもしれない。

 それにしても年次改革要望書は二重の意味で陰湿である。一つはアメリカが日本の構造について大声を上げなくなったと言うか、上げる必要がなくなったことにも関連するが、日本の規制緩和に関する伝書的イニシャティブを布設したために、アメリカの要望が国民に見えなくなってしまい、ごく一部の日米政府関係者同士(外交官)でしかこの協議が進行しなくなったことだ。特に悪質なのは日本政府が故意にこの「要望書」の存在を国民に隠蔽していることだ。年次改革要望書については、政府がマスコミに対して故意に報道管制を敷いているとしか思えない。政府の中枢がこれを隠蔽する直接の証拠は国会における竹中平蔵氏の答弁に端的に現われている。竹中平蔵氏は2004年10月19日の衆議院予算委員会で「要望書の存在を存じ上げております」と答弁したが、翌年2005年8月2日の参議院郵政特別委員会では「見たこともありません」と断言している。竹中氏が一旦は衆院予算委員会で年次改革要望書の存在を認めながら、参院郵政特別委員会ではそれを見たこともないと言ったことは、裏を返せば郵政民営化がアメリカの意向で行なわれていることを国民に知られたくないということだ。この事実からして、政府中枢が年次改革要望書の存在を国民に明らかにすることを一貫してタブー視していることが見えてくる。

 理由は何だろうか。それは内容を国民がつぶさに吟味して、後に政府主導の政策と照らし合わせると、日本で次々と策定され、実現されて行く重要な法案が、この要望書に従って生まれていることがわかってしまうからだ。これは日本がアメリカの植民地であることを国民に如実に悟らせてしまうことになり、それによって巻き起こる反米的世論形成を政府が恐れているからにほかならない。いくらお人よしの日本人でも、日本の実態がアメリカを宗主国とする植民地だったという現実には到底耐えられないだろう。

 日本に対し、系列会社の存在や談合を厳しく非難する米国が、年次改革要望書という一部の政府関係者同士で交わされるこの重大な外交文書は、まさしく国際的な談合そのものだ。しかも談合の主導権は完全に米国側にある。もう一つはアメリカ大使館がこの要望書の存在を公開しているにも関わらず、日本の政府やマスコミはいっさいこれを国民に知らせないことだ。GHQのプレス・コードがいまだに継承され続けている証左である。基本的には小泉構造改革は戦後のプレスコード環境下と同一の条件で行われたものだ。つまり、郵政民営化についても国民は知るべきことを知らないままに、賛成か反対かの選択を強いられ、マスコミが反対の材料を極力報道しない中にあって、国民は賛成傾向で投票を行なった。こういうことはまともな主権国家で起こるはずがない。日本が戦後62年間、自覚することを拒み続けていたことを、小泉政権の鮮明な傀儡政策によってまともに向き合わざるを得なくなっている。つまり、日本はある日気が付いたら主権は存在していなかったということである。歴代政権や国民が強いて考えなかったことの付けが今現われてきたとも言える。

 この年次改革要望書に従って行なわれた数多くの規制緩和は、日本の構造改革という美名の下に日本の国内問題に特化され、その内実がアメリカによる国富収奪であることを覆い隠してしまった。つまりアメリカに従うエージェントたちは、国内問題の解決だという論理のすり替えによって、国家存亡事態である国富の流失を加速するシステムを構築してしまったのだ。莫大な郵政資金の国外流出を中心に、我が国のありとあらゆる優良資産が米系外資の懐に入っていく現状はまさに国家の危急存亡そのものだ。小泉・竹中路線が推進した構造改革とは、国民に利益をもたらすどころか、逆に国民の財産を海賊に捧げるようなものであった。この悪魔の構造改革路線が、安倍政権から福田政権へといまだに継承されていることが大問題なのだ。

 国民は年次改革要望書が成立した過程をきちんと自覚した上で今後の対処を考えた方がいいだろう。つまりこの要望書の生まれる起源は、日米貿易摩擦であり、アメリカの戦略の凄さは、露骨な外圧で日本の反感を誘うことよりも、日米間の平和的な協議という範疇に収め、日本人が自ら主体的に考えてやったような形を取り始めたということだ。無用な反米感情を生まずに米国の願望を実践するという方法は多大な効果をもたらした。つまり、年次改革要望書の成立経緯は、日米貿易摩擦が起きて日米構造協議が生まれ、スーパー301条なる無茶苦茶な制裁法案が提出されて日本の反感を招いた。その後ブッシュ・シニア大統領からクリントン大統領に移った時、日米包括経済協議を立ち上げて数値目標を設定するなどというごり押しをして、アメリカは日本の大反発を食らった。そういう経過を踏まえたアメリカは最も狡猾な対日戦略を考えた。その結果、全体としては日本の構造そのものが間違っている、特に日本政府がマーケットに介入しすぎだという論法を日本側に納得させたのである。納得した日本も情けなかったと思う。もっとも、納得したのは一部の政府関係者だけだったが。国民はこの時点でアメリカの内政干渉的な構造批判について無頓着だった。関岡氏の言うように、この時点で国民は、日米構造摩擦の喧騒が収まって事態はいい方向に進んでいると受け止めていたと思う。かくして規制改革を日本人の自主判断で行うという名目の下、米国は『規制緩和及び競争政策に関する日米間の強化されたイニシアティブ』という対話路線を立ち上げた。これが年次改革要望書である。

 以上が年次改革要望書が生まれることになった歴史的経緯であるが、大きな捉え方をすれば、東京裁判史観に拘泥した戦後日本人の重大な欠点がアメリカに効果的に利用されたという言い方もできる。戦勝国のアメリカには逆らえないのだという負け犬史観がこの経済問題の重要な意識的背景を有している。アメリカの強要に逆らうことができないのだ。軍事と経済は別物だという日本人の非常識な考え方が、冷徹な国際社会には通らないという実例は戦後日本はいやと言うほど見せ付けられてきたはずだが、その現実から逃避し続けてきた付けが小泉政権に顕著に出てしまったということになる。日米間の実態は、宗主国アメリカが植民地日本から効率的に富(アガリ)を分捕っているという現実に他ならない。

 今のまま、日本人がアメリカの隷属状態に甘んじていたら、国民レベルでは絶対に幸福な生活はできない。このまま行けば、経済奴隷国家だけで済む筈もなく、アメリカの傭兵として無用な戦争に借り出されることは間違いない。日本の自主権を取り戻すには、日本人が自国文明の尊さに覚醒することだと思う。経済が軍事力の裏づけと表裏一体を成すものなら、日本がアメリカの軍事力を当てにすること自体が大間違いである。もちろん中国の軍事力も当てにするべきではない。言葉を換えて言えば自主独立を実現したければ日本がどこの文明圏にも属さずに自国文明を維持するために充分な強さを持つことだ。強さ(国力)の根幹は軍事力と経済力である。アメリカに睨まれただけで経済が頭打ちになるような国はまともな国家ではない。社会ダーウィニズムで動く国際社会は軍事力を放棄した国家を国家として認めない。この現実を無視して、日本が世界で始めての武力放棄を実践するモデル国家となるなどと言ったところで、悪鬼の跳梁する荒野に丸腰で立つようなものだ。本気でそう考えているなら、アメリカの核の傘下から離脱することだ。アメリカの核の傘下を是認しておきながら、永久平和国家として歩むなどという考えは悪質な自家撞着以外の何物でもない。

 日本を真に愛しているが、日本が軍隊を持つことには断固として反対すると言うやからが大勢いる。彼らに聞きたいのは“アメリカの核の傘下で守られている現状はいいのか”ということだ。つまり日本でパシフィズムを標榜する人間の欺瞞はそこにある。国家を自国民が防衛するのは自立国家の基本だ。この単純な原則が認識できないうちは日本はアメリカに限らず他国の餌食にされてしまうだけである。

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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

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