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チェイニー人脈を背景にする安倍首相とブレジンスキーの影が見える小泉親子
が対立している可能性

2014.02.02 櫻井ジャーナル

アメリカの支配層を一枚岩だと考えてはならない。ひとりの独裁者を頂点に、そ
の下にピラミッド状の支配システムができあがっているという単純な構 造では
なく、いくつかの勢力が対立、ある場合には協力しながら圧倒的多数の庶民を支
配しているのが実態だろう。支配層内部の戦いが激化すれば相対 的に庶民の力
が強まるため、利害の調整機関もあるが、それで対立をなくすことはできない。

安倍晋三首相たちがリチャード・チェイニーの一派とつながっている可能性が強
いことはすでに書いたが、では、小泉純一郎はどうだろうか?

首相時代、小泉がウォール街の意向に沿う政策を打ち出して日本を破壊へと導い
たことは間違いない。興味深いのはその息子、進次郎の経歴だ。 2004年に関東
学院大学を卒業し、2006年にコロンビア大学大学院で修士課程を修了、すぐに
CSISの非常勤研究員になっている。

ところで、CSISはCIAと関係の深いシンクタンク。このシンクタンクが1996年に
設置した「日米21世紀委員会」は2年後、日本の進むべき 方向を報告書としてま
とめている。それによると、(1) 小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力
が集中する国)、(2) 均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度
を高めることになる)、そして(3) 教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の
破壊)だ。

小泉進次郎はコロンビア大学でジェラルド・カーティスに師事したというが、
ジャーナリストのジョセフ・トレントが明らかにした「クローリー・ファ イ
ル」によるとカーティスはCIAの協力者。この情報が正しいなら、小泉親子はCIA
の影響下にあるということになる。

トレントはCIAの上層部に情報源を持つのだが、往々にして、そうした人びとの
話を検証せずに伝える傾向が強い。そこで注意する必要はあるのだ が、何らか
の事情で、そうした話がCIAから流された可能性はある。

エール大学とCIAとの関係は有名だが、コロンビア大学も無関係とは言えない。
最も重要な役割を果たした人物と言えるのがズビグネフ・ブレジンス キーだ。
ブレジンスキーはデイビッド・ロックフェラーと緊密な関係にあった人物。この
ふたりが中心になって日米欧三極委員会が創設されている。 カーティスは同委
員会のメンバーだ。ブレジンスキーとカーティスが無関係だとは言えない。

コロンビア大学でブレジンスキーに師事したと言われている人物がいる。バラ
ク・オバマである。そこで、オバマはCIA人脈だとも噂されているわけ だ。

こうした情報をつなぎ合わせると、小泉親子とオバマ大統領は同じ勢力に属して
いる可能性が出てくる。オバマ政権と対立する道を歩んでいる安倍首相 と小泉
親子が対立しても不思議ではない。

(転載終わり)

【関連情報】:ブレジンスキー(86歳)とは?

▲ズビグネフ・ブレジンスキー (Wikipediaより抜粋)

ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー
Zbigniew Kazimierz Brzezin'ski
生誕 1928年3月28日
ポーランドの旗 ポーランド ワルシャワ
職業 政治学者
アメリカ合衆国国家安全保障問題担当大統領補佐官


ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz
Brzezin'ski, 1928年3月28日 - )は、アメリカ在住の政治学者。カーター政権
時の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたことで知られる。 ポーランド
出身。カナダ育ち。1958年にアメリカ市民権を取得。


ポーランドのワルシャワに「ズビグニェフ・カジミエシュ・ブジェジンスキ
(Zbigniew Kazimierz Brzezin'ski)」として生まれる。ブジェジンスキ家は、
現在はウクライナ領となっているブジェジャヌィを故地とし、3つのホルンをあ
しらった 「トロンビィ」紋章を持つポーランドの名門シュラフタ。外交官だっ
た父タデウシュ・ブジェジンスキは1931年から1935年までベルリンに赴 任、ズ
ビグニェフも父と共にドイツで過ごし、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党の台
頭とその強引な政治手法を目撃した。

その後タデウシュは一家とともにモスクワに赴任。当時のソ連ではスターリンに
よる大粛清の嵐が吹き荒れており、ズビグニェフはまたもや独裁者によ る恐怖
政治を目撃することとなった。その後父タデウシュは1938年にカナダへ赴任する
ことになり、一家もカナダに移住、1939年にドイツが ポーランドに侵攻したた
め、一家はポーランドに帰国できなくなった。第二次世界大戦後も共産主義者に
よって祖国ポーランドが支配されたため帰国が 実現することはなかった。

コロンビア大学教授

カナダで成長したブレジンスキーは、マギル大学で学部と大学院修士課程を修了
し、ハーバード大学大学院に進学する。ハーバード大学大学院では同じ く欧州
からの移住者であった政治学者カール・フリードリッヒに師事し、1953年に博士
号を取得する。さらにのちに駐日大使となる日本生まれの東 洋史研究者のエド
ウィン・O・ライシャワーにも学んだ。学位取得後はハーバード大学で教鞭を
とったが、テニュア(終身雇用)を得ることができな かったことからコロンビ
ア大学に移り、同学の教授(1960年~1989年)として共産主義圏の政治・外交の
研究を行なう。

ブレジンスキーは1950年代より、ソ連の政治体制を、1) 全体主義イデオロギー
の支持、2) 一党独裁、3) 秘密警察組織の浸透、4) マス・コミュニケーション
手段の体制による支配、5) 武力の体制による独占、6) 中央集権的統制経済など
の特徴を有する「全体主義体制」の一つであり、従来の独裁や権威主義体制とは
異なるものと位置づけた。1940年代まで、全体主義 という概念はナチス党政権
下のドイツやファシスト政権下のイタリアを論じるために用いられる一方、ソ連
研究には用いられていなかった概念であり、 ブレジンスキーの研究は同時代に
発表されたハンナ・アーレントの『全体主義の起源』などと呼応する形で、これ
らの体制間の比較研究に地平を開くこ ととなった。

また、1971年には日本に半年間在住した後に、急速な経済発展を遂げた日本が政
治外交領域ではいまだに独立した行動をとる力を持っていない「ひ よわな花」
であると論じ、日本で大きな注目を浴びた。冷戦後に発表した『ブレジンスキー
の世界はこう動く』でも、日本に対する基本的な見方は継承 されている。

研究の一方、1960年の大統領選挙以降、歴代大統領選で民主党候補者陣営の外交
問題顧問に加わる、日米欧三極委員会の創設に携わるなど、実務面 でも力を発
揮した。この面では共和党と深い関係を持っていたヘンリー・キッシンジャーと
並び称されることが多い。

政権参画とその後

1976年の大統領選においてカーターの外交政策アドバイザーを務め、カーター政
権発足後に国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任。ハト派の多 い民主党の
中では異色のタカ派で、政権内ではサイラス・ヴァンス国務長官と外交政策を
巡って対立することが多く、1979年のイランアメリカ大使 館人質事件の対応を
めぐって対立は決定的になった。結局、カーターの信任を勝ち取ったのはブレジ
ンスキーで、ヴァンスは政権から追い出されるかた ちで1980年に辞任すること
になった。

後任の国務長官には故郷ポーランドからの移民の子であるエドマンド・マスキー
上院議員を支持する。後にはマスキーを民主党大統領候補に推してい る。さら
に、ソ連による支配に対抗したポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」を積
極的に支持し、ポーランド出身だった当時のローマ教皇ヨハ ネ・パウロ2世とも
密に連絡を取り合っていたため、事実上1989年の東欧革命の最大の黒幕ともいわ
れている。

カーター政権退陣後も現実政治との密接なかかわりを持ち、ジョンズ・ホプキン
ス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)の教授を務める傍ら、戦略 国際問題研
究所(CSIS)顧問として「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の共同代表を務め
た。いわゆるネオコンとは連絡を取り合いながらも一 線を画している。2008年
の大統領選では民主党候補バラク・オバマ陣営の外交問題顧問を務めるなど、現
代アメリカ政治に隠然たる力を及ぼしてい る。2013年にはシリア内戦に対する
アメリカの武力介入への反対を表明した。

(抜粋終わり)





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