FC2カウンター


最近の記事


FC2ブログランキング


プロフィール

Author:鳥居祐一
FC2ブログへようこそ!


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


Excite自動翻訳


♪BGM

©Plug-in by PRSU


FC2ブログランキング


ブロとも申請フォーム


DATE: CATEGORY:杉並からの情報発信です


戦後70年特別企画 安倍首相の祖父・A級戦犯岸信介の正体(前)

安倍首相が心酔するおじい ちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラック
マネーを集め戦争を遂行

2015.08.16 litera

http://lite-ra.com/i/2015/08/post-1396-entry.html

後世の歴史家たちはこの2015年という年をどう評価するだろう。「戦後70年」と
いう節目の年に、先の大戦でA級戦犯の容疑がかけられ た人物の孫が内閣総理大
臣を務め、その孫は再び日本を“戦争のできる国”にしようとしていることを、だ。

そう、今さら説明するまでもないが、安倍首相の母方の祖父は、昭和の妖怪と呼
ばれた岸信介元首相だ。安倍首相は日ごろからこの祖父につい て、敬愛の思い
を隠さず、“おじいちゃんコンプレックス”ともいえるほどの心酔ぶりを示している。

安倍首相が集団的自衛権行使と改憲に向かってひた走っているのも、激しい反対
の中、日米安保条約改定を断行したおじいちゃんを見習い、そ しておじいちゃ
んのやり残した仕事をなしとげようとしていることが最大の動機になっているの
は間違いない。

だが、そのおじいちゃんは、戦後、内閣総理大臣をつとめただけの人物ではな
い。戦時中、東条英機首相(当時)率いる内閣の閣僚として戦争 遂行の一翼を
担い、一時は「A級戦犯」容疑者として拘留されていた戦争犯罪者でもある。

いったい岸信介とはどんな人物だったのか。戦時中、何をしたのか。終戦から70
年、もう一度、おさらいしてみよう。

岸信介は日清戦争が終わった翌1896年、山口県に生まれた。元首相の佐藤栄作は
実弟だ。兄弟の父は岸家の人だが長州藩士に連なる佐藤家 の娘と結 婚したた
め、佐藤家の分家の形で佐藤姓を名乗った。中学生のときに岸が父の実家である
岸家に養子入りして、「岸信介」が誕生する。

地元の高等小学校を卒業した後、名門岡山中学から山口中学に転校し、いずれも
首席を続けた。東京帝国大学入学後も、後に民法学の大家とな る我妻栄 と首席
を分け合う秀才ぶりだったという。卒業後の岸は商工省の革新官僚として統制経
済(経済・産業を国家の統制下に置こうとする社会主義的政 策)の旗手と なる
が、それは国粋主義を唱える大学の恩師、上杉慎吉と大アジア主義(日本を盟主
とするアジア諸民族連帯の思想)の大川周明、国家社会主義の 北一輝の強い 影
響だったと言われている。

若手官僚として頭角を現した岸を一気に飛躍させたのが1936(昭和11)年に満州
官僚へ転出したことだった。満州国という実験国家を自 らの「作 品」と呼び、
実質的な最高首脳の一人としてソ連の計画経済を模した統制経済(産業開発5カ
年計画)を強力に推進することになる。同時にそれ は、岸が戦争に 手を染める
きっかけにもなっていった。

わずか3年の在任だったが岸は満州で3つの“財産”を手に入れている。統制経済に
よる国家経営のノウハウ、東条英機(当時、関東憲兵隊司令 官)を筆 頭とする
関東軍人脈、そして湯水のごとく使える金脈だ。岸に関する評伝、研究書は数多
あるが、いずれも明確に指摘しているのが、後に東条英機 を宰相にまで 持ち上
げたのは岸の資金力があったからだ、という事実だ。

〈のちに東京に帰った東条が陸軍次官、陸相、総理へと中央の階段を昇り詰めて
いくにつれ、今度は岸が集金力にものをいわせて、東条に莫大な 政治献金をし
た〉(太田尚樹『満州裏史』講談社文庫)

岸と東条は満州時代に公私に絆を深めていく。毎日新聞記者の岩見隆夫氏が書い
た『昭和の妖怪 岸信介』(中公文庫)には、満州事情通の小坂正則の次のよう
な証言が紹介されている。

「岸さんは日本に帰ってきてから、ずいぶんと東条さんのために政治資金をつ
くってやった。翼賛選挙でも莫大な選挙資金を必要とするのに、首 相である 東
条さんはああいう男だからカネがない。そこで岸さんが鮎川に頼んだ。鮎川は日
産の株を満州投資証券へ譲渡する時、七千万円、確かな数字では ないが、その
ぐらいを浮かせて鮎川の財団である義済会にプールしてあった。このうち三千万
円ほど抜いて岸さんに渡し、岸さんはこれを東条に回してやったり した」

ここで出てくる「鮎川」というのは日本産業(日産)財閥の総帥で岸の遠縁に当
たる長州出身の鮎川義介のことだ。岸は日産を満州に誘致し、 南満州鉄 道(満
鉄)に対抗する満州重工業開発(満業)を設立させた。一方、当時の満鉄総裁は
岸の母方の叔父に当たる松岡洋右(後の外相)で、このふた りが表向きの スポ
ンサーだったと言われているが、実はそれだけでは説明がつかない。

岸に長時間インタビューをした岸研究の第一人者、東京国際大学名誉教授の原彬
久氏は『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)でこう書いて いる。

〈巨額のカネを動かして人脈と権力を培養し、人脈と権力を動かしてカネを集め
るという手法はまぎれもなく岸のものだったのである。(中略)
 当時、岸の部下であり、戦後明治学院院長となる武藤富雄は、次のように回想
している。

「私は岸さんから毎月二〇〇円(現在の約二〇万円)の小遣いをもらっていたこ
とを覚えています。当時の満州といえどもカネの使い方は予算で決 まっていま
し たから、領収証のとれない使途不明のカネを自由に捻出することは、たとえ
総務庁次長でもそう簡単ではありません。私は毎月二〇〇円ものカネを ポンと
渡して くれる岸さんをみて、『これはなかなか豪気な人物だな』と思うと同時
に、『何かの名目をつけて、ある程度のカネを自由に使う方法を知っている ん
だな』と感 じました」
 岸は同僚官吏はもとより、民間人、それもいわゆる満州浪人、無頼漢に至るま
で彼のそばに来るものには惜しげもなくカネを与えていたといわれ る〉

資金の源は何だったのか。多くの研究者やジャーナリストが指摘するのがアヘン
取引による利益である。当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁 じていた が、
満州専売局を通して登録者に販売できるシステムを採っていた。事実上、野放し
だ。にもかかわらず一方で売買が禁止されているため、価格は 吊り上げ放題
で、巨額の利益が上がる仕組みになっていた。

満州を抑える関東軍はこの収入に目をつけ満州国の西隣りに接する中国熱河省へ
侵略の兵を進めた(熱河作戦)。熱河にはアヘンの原料となる ケシ畑が 広がっ
ていたからだ。「満州の背後を固める」というのは口実で、アヘンを求めての進
軍だったというのである。消費地も満州国内だけでなく北 京、上海、広 東、厦
門へと拡大していった。

こうして得た莫大なアヘンマネーを岸ら首脳陣は、国家経営や戦争遂行、謀略工
作に回す一方、一部を私的に着服していったという。

 近衛文磨の女婿で細川家の当主に当たる細川護貞氏(細川護煕元首相の父)が
戦時中、裏の政治情報を日記の形で残していて、岸関連の書物に たびたび引用
されている。1944(昭和19)年9月4日付の記述はきわめて示唆的だ。岸に関する
部分を抜粋する。

〈岸は在任中、数千万円、少し誇大に云えば億を以って数える金を受け取りたる
由、然もその参謀は皆鮎川(義介)にて、星野(直樹)も是に参 画しあり。結
局此の二人の利益配分がうまく行かぬことが、(東条)内閣瓦解の一つの原因で
あった〉(『細川日記』中央公論新社)

星野直樹は大蔵省から満州に派遣された官僚で岸の上司に当たる人物だ。当時の
数千万円といえば、いまの数百億円に匹敵する。これだけでも驚くが、 同年10
月16日付の箇所にはこんなことも書かれている。

〈朝、K君を訪問、談たまたま東条に及びたるに、彼は昨年中華航空にて現金を
輸送せるを憲兵隊に挙げられたるも、直ちに重役以下釈放となり たること あ
り。是はその金が東条のものなりしを以ってなりとのことにて、以前より里見某
なるアヘン密売者が、東条にしばしば金品を送りたるを知り居る も、おそらく
是ならんと〉(同)

要は、アヘン利権を巡って岸や東条を始めとする満州人脈が複雑に絡み合い、時
には利益分配で揉め事も起きていたということである。そし て、岸はそこから
少なく見積もっても数千万円、“少し誇大にいえば”億単位のカネを手にしたとい
うわけだ。

ところで10月16日付の『細川日記』に出てくる「里見某」は、里見甫という元新
聞記者で、中国に渡って里見機関という特務機関を率いてい た。実態は、陸軍
の依頼でアヘン取引を扱うブローカーだ。中国では「アヘン王」の異名で知られ
ていた。

1948(昭和23)年2月の極東軍事裁判(東京裁判)の法廷でA級戦犯被告となった
星野直樹の国際検事団による罪状朗読の中に「一九三 八年(昭 和十三年)から
一九四五年(同二十年)まで、北支派遣軍の特務部の下で、中国においてアヘン
作戦を実行した証人サトミは、一九四〇(同十五 年)まで彼に よって販売され
たアヘンは、ペルシャ製のものであったが、その後彼は満州産アヘンを販売した
と証言した」とのくだりがあるほか、里見とアヘン に関する証言 は数限りない。

その里見の墓が千葉県市川市の総寧寺という寺にあるが、墓碑銘を揮毫したのは
誰あろう岸信介その人だった。「アヘン王」里見と岸の浅から ぬ関係を示す証
拠のひとつだ。

満州国のアヘン政策は日本軍の戦争遂行資金に深く関わっていた。それどころ
か、陸軍が中国大陸を深く侵し続けた理由のひとつにアヘン利権 拡大の側面が
あったことは見逃せない。

こうしたシステムを動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げ
られたカネが対米主戦派の東条英機を首相に就任させる原動力 になって いたと
いう構図である。それだけではない。「満州は日本の生命線」とは岸の叔父、松
岡洋右が初めて唱えたスローガンだが、実際にこの言葉を用 いて日本を戦 争へ
と導いたのが岸だった。

満州着任後、岸は産業開発5カ年計画の実行を進め、日産の誘致にも成功し、裏
ではアヘン政策を拡大させたが、それでもまだ満州国の経営資 金は足り なかっ
た。そこで岸が打ち出したのが、日本が戦時体制にあることを最大限に利用する
ことだった。岸は日中戦争が始まるや「戦略・兵站基地満 州」を前面に押 し出
すことによって、5カ年計画への資本導入を日本政府に強力に働きかけたとい
う。岸にとっては持論の国家統制経済遂行のまたとないチャンス だった。前出
の原彬久氏は前掲書でこう書いている。

〈日中戦争、いや日中戦争ばかりでなくそれに続く太平洋戦争への道は、国家主
義者岸信介にとってはそれほど不都合な時代状況ではなかった。 それどこ ろ
か、岸にとって日本の戦時体制は、ある意味では自らの野心と才能を時代に投影
し検証していく格好の機会となっていくのである〉

だが、岸が信奉した統制経済は満州国が掲げた「五族共和」を実現したとは言い
難い。東京裁判の証言台に立った元満州国皇帝、溥儀はこう証言 している。

〈溥儀証人 専売されていた最も主なものはアヘンでした。その他、例えば綿花
とか糧食というような種々雑多なものが専売されておりました。統制経済が行わ
れてから一切 の物資は日本人によって接収されて、鉱業あるいは工業などは全
部日本人によって統制され、中国人は経営することができなくなりました。

検事 綿布統制法は実際的に、強制的に実施されたものですか。
 溥儀証人 これらの統制法は全部実施されて、その結果中国人は冬になっても
綿や綿布を手に入れることができなくなったために、寒さで多くの人が凍死し、
あるいは病気 になるような状態でした(後略)〉

岸が在満時代に入手したアヘン金脈と人脈をフルに使って東条内閣をつくり上げ
たことは前述した。帰国後、岸はその東条内閣で商工大臣とし て、ある いは軍
需次官として東条とともに対米戦争を指導していくことになる。岸が内地で辣腕
を振るったのも統制経済の実行だったことは言うまでもな い。再び、原氏 の前
掲書より引用する。

〈岸が、まず最初に考えたことは、「日本の置かれている情勢から、国防産業を
中核として国防国家を考えなければいけない」ということであっ た。つまり、
「国防国家」実現のためには「国民生活がある程度不自由になってもやむを得な
い」ということである〉

こうして日本はドロ沼の日中戦争から太平洋戦争へと転げ落ちていくことにな
る。そして岸は、その戦争遂行のため、国家のすべての人的・物 的資源を 国家
が統制運用できる国家総動員体制、国家統制による軍需生産増進、大東亜共栄圏
の自給自足体制確立など戦時経済体制推進の先頭に立って旗振 り役を務めて い
た。当然、戦争責任を問われても不思議はない。

ところが岸は、満州時代の盟友東条英機、松岡洋右、星野直樹、鮎川義介らとと
もにA級戦犯容疑で逮捕されるが、不起訴処分によって釈放さ れる。な ぜ、岸
は戦犯被告から逃れることができたのか。それは、今、安倍首相が安保法制を強
行しようとしていることと、根っこのところでつながってい る。次回は、 この
昭和史の謎に迫ろう。(野尻民夫)






スポンサーサイト
コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



copyright © 悪徳ペンタゴン打倒のために集まろう all rights reserved.Powered by FC2ブログ