FC2カウンター


最近の記事


FC2ブログランキング


プロフィール

Author:鳥居祐一
FC2ブログへようこそ!


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


Excite自動翻訳


♪BGM

©Plug-in by PRSU


FC2ブログランキング


ブロとも申請フォーム


DATE: CATEGORY:杉並からの情報発信です


アフガニスタンに生命の水を

ペシャワール会 中村哲氏講演より   

2015年9月2日 長周新聞

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/ahuganisutanniinotinomuzuwo.html

アフガニスタンで農村復興のため水利事業に携わっているペシャワール会の中村
哲医師の講演会が8月30日、宇部市の渡辺翁記念館で開催された。 山口大学
医学部最大の学生団体である「山口大学国際医療研究会」の学生たちが主催し、
約1000人の聴衆が詰めかけた。米軍のアフガン空爆の下で だれが犠 牲 に
な り、どうなったのか。現地の実際を通して安倍政府の進める安保法制がい か
なるものかを浮き彫りにするものとなった。以下、講演内容を紹介する。掲 載
する写 真や地図は講演後に中村医師より提供していただいたもの。

農業軸の多民族国家 高山の水で豊かな実り

アフガニスタンは日本人にとってもっともわかりにくい国の一つだ。中近東の
乾燥地帯の東の端にある中央アジアの一角、ヒマラヤ山脈を西にたどっ たとこ
ろ にあるヒンズークシ山脈という7000~6000㍍級の高い山山の辺りが
アフガニスタンだ。地理的に東西の交通の要衝である。

ヒンズークシ山脈の山山が国土のほとんどを占め、2000万~3000万人
といわれる人口のほとんどが農業で生計を立てている。アフガニスタン には
「金 がなくても食っていけるが、雪がなければ食っていけない」という諺があ
る。高い山に降り積もった雪が夏に少しずつ溶け出して川沿いに豊かな実りを
約束す る。人も動物も、このおかげで何千年、何万年と命をつないできた。降
雨量は日本の20分の1とか50分の1といわれ、日差しは強いが、水さえあれ
ば植物の 繁殖も旺盛で、かつては100%近い食料自給率を誇っていた農業国
である。

アフガニスタンは多民族国家だ。シルクロードの時代、「民族の十字路」とい
われるほどいろいろな民族が通過し定住した。谷が深く、谷ごとに違う 民族が
住 んでいるといってよく、「アフリカ人以外ならすべてアフガニスタン人に化
けられる」といわれるほどで、ほぼ独立した自治体制を営みながら、その集 合
体とし てアフガニスタンという国を形作っている。20以上の民族・言語が錯
綜しながら一つのまとまりをつくる地域であることを理解してほしい。

よくいえば自治性が非常に濃厚であり、悪くいえば割拠性が強い民族を束ねる
のがイスラム教だ。各村や町にもモスクがあり、ときには行政よりも決 定権を
持っている。目にするニュースでは血なまぐさい印象が多いかもしれないが、実
際にはそれほど変わった人たちではない。アフガニスタン人は私が見る 限りで
は 世界でももっとも保守的なイスラム教徒で人人は戒律を律儀に守る。

貧富の差は甚だしい。現地に行って医療人としてまず無力感を感じるのは、お
金持ちはちょっとした病気でもロンドン、パリ、ニューヨーク、東京に 行って
治療を受ける一方で、99・999%の人人は数十円のお金がなく、薬も買えず
命を落としていることだ。

診療所作ったが… 水と食料こそ死活問題

 私たちの活動の始まりは、1984年にペシャワールで発足した「ハンセン病
根絶5カ年計画」に参加したことだった。当時、世界的なハンセン病根 絶計画
が 進められており、その一環として活動を進めていた。ハンセン病は合併症が
多く、さまざまな専門医の診療が必要で、その治療センターをつくるのが私 の
任務 だった。ベッド数はわずか14床、耳にすると怪我をする聴診器が一つ、
ピンセット数本。まともな医療器具はなかった。消毒設備もないため、ガーゼ
の消毒は オーブントースターを使っていた。

私たちの活動は一見、医療とは無関係な部分にエネルギーを使ってきた。なか
でも今ももっとも気を遣っているのは「いかにして患者の気持ちを理解 する
か」 ということだ。外国人が犯しやすい間違いだが、見慣れないものを見る
と、単なる違いを善悪や、「遅れている」「進んでいる」、優劣で見て裁いてし
まう。そ して現地と衝突し、帰らざるを得なくなるのを目にしてきた。女性の
かぶり物がどうかなどはその国の人自身が解決することで、私たちは現地の文
化・ 宗教・慣 習に関しては好き嫌いがあろうと、できるだけその文化の枠内で
解決することを鉄則として現在に至る。

私が行ったときはアフガン戦争の真っ只中。約10万人のソ連軍が侵攻してい
た。その後約10年間内戦が続き死亡者は200万人、国民の10人に 1人が
死 に、600万人が難民になった。十数年前からはアメリカ軍、NATO軍の
侵攻でさらに混乱が続き、「戦争」が現地民にとって非常に切実な問題と なっ
ている。

内戦状態のなか私たちは難民キャンプで診療をおこなっていたが、とても間尺
に合わず方針を大転換することにした。「ハンセン病根絶計画」は先進 国側が
考 えたアイデアであり現地では非常に無駄が多いものであった。ハンセン病が
多い地域は同時に腸チフス、結核、デング熱、ペストなど、ありとあらゆる 感
染症の 巣窟だ。医療人のモラルとして、マラリアで死にかけている患者を「ハ
ンセン病ではないから診ない」というわけにはいかない。私たちは、内戦が下火
になった 暁には、ハンセン病の多発地帯であり他の感染症も多い山奥の地域に
診療所をつくり、ハンセン病をさまざまな感染症の一つとして区別なく診るとい
う 方針に向 け、動き出した。

当時、内戦の真っ只中であったがパキスタン管内に入ることもあった。国は違
えど同じ民族が住んでいるので、自由自在に山越えをしながら人人との 付き合
いを深めた。
 ソ連軍は10年もしないうちに撤退し、私たちは次次に診療所を開設した。そ
して1998年4月に病院を建て、ここで責任を持ってわれわれの患者 を診る
こ とにした。さあ今からというときにアフガニスタンは世紀の大干ばつに見舞
われた。ユーラシア大陸を襲ったこの干ばつは今まで人類が経験したことの な
い規模 で進行中だが、とくに2000年5月の干ばつがひどいものだった。

なかでもアフガニスタンはもっとも激烈な被害を受けており、世界保健機関
(WHO)は、 “国民の半分以上の1200万人が被災し、飢餓線上の国民が約
400万人、餓死線上が100万人である”と警告を発表した。当時タリバン政
権に よって内乱 が収拾され、曲がりなりにも治安は回復していたが、政治的な
理由でついに救援はあらわれなかった。私たちのまわりで、緑があり人人が生活
していた 村が、1年足らずで一木一草も生えない沙漠になって次次消えていっ
た。これがアフガン人にとって現在もっとも深刻な問題となっていることを私は
伝える義務 がある。

数十万㌶が沙漠化し、多くの難民が発生した。診療所には若いお母さんたちが
子どもを抱き、何日もかけて歩いてくる。生きてたどり着くのはまだま しで、
たどり着いても順番待ちで並んでいるあいだに腕の中で冷たくなっていく光景は
ごく日常的に見られるものだった。

アフガニスタンは自給自足の国だが、水がなくなれば汚水を口にして下痢にな
る。作物も育たないため慢性的な栄養失調に陥り、簡単な病気で命を落 とす。
清 潔な水と十分な食べ物さえあれば、ほとんどの患者が死ぬことはなかったと
思う。私たちは「いくら医療器具、薬があっても役に立たない。飢えや渇き は
薬では 治せない」と考え、2000年8月頃から「清潔な飲料水と十分な食べ
物を」を掲げて診療所のまわりの枯れた井戸を掘り始めた。その後活動は広が
り、5年間 で1600カ所、清潔な飲料水を確保することができた。数十万と
いう人人が村をあげて働き、大きな事業に発展した。

もう一つの課題は農業用水を確保することだった。伝統的なカレードという横
井戸で地下水を引いて水を確保していたが、それが枯れ、再生してもま た枯れ
るのをくり返し、約40個再生したが、地下水利用の限界を知った。

女・子供殺した米軍 空爆の中で食料を配る

2001年9月11日、ニューヨークの同時多発テロが起き、その翌日から国
際社会と呼ばれる国の人人が、「アフガニスタンは首謀者をかくまっ た」「報
復 爆撃しろ」といい始めた。私たちは「今アフガニスタンに必要なのは水と食
料であり爆弾の雨ではない」「アフガニスタンは一つの国ではなくいろんな 国
の寄せ 集めであり、政府が悪いからアフガン国民すべてが悪いというものでは
ない」と主張したが、大きな世論にはならなかった。しかし国外の人人、日本全
国からお そらく数十万人が私たちに賛同して募金に協力してくれ、食糧支援に
従事した。

10月になって空爆が実施された。現地は冬で、首都カブールは、元からいた
市民ではなく、田舎から逃れてきた干ばつ避難民であふれた。その百数 十万人
のうち約1割は生きて冬を越せなかった。私たちは小麦粉1800㌧を運び入
れ、職員20人で配布した。

空爆は激しかった。日本人の空爆の記憶は、おそらく太平洋戦争で途切れてい
るが、最近の戦争はあれ以上に高性能で、巧妙で、非人道的な爆弾が使 用され
る。ボール爆弾や、人間だけを死傷するクラスター爆弾が大量にばらまかれた。
一方で「人道的」支援と称して食料を投下するが、クラスター爆弾と まったく
同 じ黄色い包みに食料を入れて落とす。それを拾いに行った子どもたちが犠牲
になるなど、犠牲になったのは子どもや女性、お年寄りなど弱い人人だっ た。

日本に帰ってきたときは異様な雰囲気だった。普段は知らないカブールやカンダ
ハールなど名前まで出して「次はどこがやられるのか」と、まるでゲー ムの よ
うに見ていることに非常に不愉快な思いがした。軍事評論家が出てきて「ア メ
リカがおこなう空爆はピンポイント攻撃であり、悪いやつだけをやっつけ て、
一般 人には手を加えない人道的な攻撃だ」といっている。「そんなに安全 な爆
弾ならその下に立って評論をしてくれ」といいたかった。日本人が見せられ た
のは爆弾 を落とす側の映像で、落とされる側の映像はほとんどなかったと思
う。世界的に戦争が正当化されるなかで、だれが犠牲になっていったかを考える
と収 まらない ものがある。

無差別爆撃のなか、食料を配ることは至難の業だった。職員20人が1発の爆弾
で全滅する可能性は十分にあったため、3つの部隊に分け、たとえ1 チーム が
全滅しても他の2チームが任務を敢行するようにした。活動の底力となった の
は同胞のためには命も省みない勇敢なアフガン人であり、これによって私たちの
活 動は支えられた。

米軍の進駐後 麻薬と売春の自由現出

タリバン政権が11月になって崩壊し、米軍の進駐が始まった。世界中で「極悪
非道の悪のタリバンをうち破り、絶対の自由と正義の味方、アメリカ および そ
の同盟軍を歓呼の声で迎える市民の姿」「女性抑圧の象徴であるかぶり物を脱ぎ
捨てて、自由をうたう女性たちの姿」の映像が、くり返し嫌というほど流 され
た。この戦争に反対していた人も「そんな悪い人たちがやられるのならよかった
のではないか」となり、アフガニスタンは忘れ去られていった。

実際には何ができていったか。それはケシ畑だ。タリバン政権はよくない面も
あっただろうが厳格な宗教制度によってケシ栽培を徹底的に取り締まり、ほぼ
絶 滅していた。それが盛大に復活し、数年を待たずしてアフガニスタンは、世
界の麻薬の90%以上を供給する麻薬大国となった。

解放されたのは「ケシ栽培の自由」「女性が外国人相手に売春をする自由」
「働き手を失った人人が街頭で乞食をする自由」「貧乏人が餓死する自 由」だ
と いって間違いではないと思う。実際に当時、飢餓線上の人口は400万人と
いわれていたが、現在760万人に増えている。アフガニスタンはますます 窮
地に立 たされている。

「緑の大地計画」 命綱の用水路の建設へ

戦争とはおかまいなしに沙漠化はどんどん進行し、今も進行中である。まずは
いかにして食料不足を解決するかを第一にあげ、「緑の大地計画」を立 てた。
わ れわれは医療団体だが、診療所を100戸つくるよりも1個の用水路をつ
くった方がはるかに効果が大きいと考え、「沙漠化で無人化した村村の復興」
をスロー ガンに、2003年に用水路の建設に着工した。

最終的に現在の全長27㌔㍍、灌漑面積3千数百㌶の約16万人が生活できる
用水路が完成したが、12年前は途方に暮れた。計画をつくるのは非常 に簡単
だ が、実際にやってみるとさまざまな問題に遭遇した。意気込みはあるが、ま
ず道具がない。ツルハシとシャベルのみだ。もう少しお金を貯めて立派な日 本
の技 術、技術者を呼ぶことも考えたが、長い目で見て、だれがその水を使い、
用水路を維持管理するのかを考えたとき、現地の人人でも建設でき、現地の人
たちの手 で維持され、何世代にもわたって使える施設にするには、現地の人の
手で直せるものでなければならなかった。

日本とアフガニスタンは、非常に異なる国のように見えるが、水に関しては非
常に似た点が多い。どちらも山の国で急流河川が多く、夏と冬の水位差 が激し
い こと、山間部の狭い地域や小さな平野での農業が主流であり、水をとり入れ
る技術に似た点がある。現在の農村は日本の中世の農村部の自治制と似た点 が
ある。 このため日本の昔の技術をアフガニスタンにとり入れようと考えて探し
回った。

私の生まれ育った福岡県の筑後川は「日本三大暴れ川」と呼ばれ、治水のため
の古い施設がたくさん残っている。日本も数百年前まで渇水、飢饉、洪 水は日
常茶飯事で、そのたびに何十万、何百万という犠牲者を出しながら現在の田園地
帯がつくられてきた。
 築後川の山田堰は220年前につくられ、現在も現役として多くの地域を潤し
ている。「これだ」と思った。当時は重機やダンプカーなどない。「私 たちに
もできないことはない」と積極的にこの技術をとり入れていった。

日本の堰を模倣するといっても、インダス川の支流は日本の大河川の5倍、
10倍の規模。この地理条件に合わせ、約10年の歳月をかけて最近になって
ようやく成功するようになった。

護岸技術もむやみにコンクリートを用いるよりも昔の技術の方が簡単であると
同時に、多少崩れてもすぐに補修できるという点で優れていた。「蛇 籠」と呼
ば れる鉄線で組んだ籠に石を詰めて積み上げ、そこに柳の木を植えると非常に
強靱な用水路ができる。昔の人の知恵があのインダス川の激流を見事に制した。

コンクリートの打設はだれにでもできないが、石を積み上げるのはアフガン人
ならだれでも上手だ。これも現地に非常に適した方法だった。とにかく 自分た
ち でつくることを私たちの鉄則とした。揚水設備も、電気が使える地域は数%
で、それもときどき電気が来る状態だ。油や電気を使わない水車を使い、水 利
施設も 充実していった。

用水路が次次とでき、10年ほど前から用水路が延びるたびに緑地が蘇り、荒
れた村村が回復して多くの人人が村に帰ってきた。

最後にたどり着いたのがガンベリ沙漠で、ここが一番の難航地だった。工事は
真夏で、摂氏53度にまでなる。数百人の作業員のうち、毎日十数人が 熱中症
で倒れる。それでも彼らが作業の手を休めなかったのは「1日3回食べること」
「故郷で家族と一緒に生活すること」、このたった2つの強い願 いがあっ たか
ら だ。それさえもかなえられずに難民化した彼らにとって、この用水路ができ
なければ、元の難民生活が待ち受けている。

「なんとか生き延びたい」という健全な意欲が、用水路建設の大きな底力となっ
た。2009年に第1回目の 試験的な通水が成功したときに彼らは大喜びし、
開口一番「先生、これで生きていける」と いった。用水路は地域の人人には欠
かせぬ命綱として存在し続ける こととなった。

しかし水を引くだけではだめで、砂嵐をいかに防ぐかが次の問題となった。防風
林をつくることにしたが、これも年月がかかる。やっと2、3年前に林 に成長
し、約80万本の木が砂嵐を防いでいる。現在も着着と事業が進んでいる。

数十万人の生活保障 農業回復が平和の基礎

水が来れば作物をつくることができ、水辺には動物も集まる。エネルギー問題
も一挙に解決した。日本でエネルギー問題といえば原発や電力、石油の 話が出
て くるが、現地で必要なのは調理や防寒に使う薪だ。80万本の木木から出る
大量の間伐材を利用することで、この地域ではほぼ自給可能になりつつある。

人が集まれば諍(いさかい)も起こる。それを解決するよりどころとしてモス
クも建設した。われわれが活動する地域はもっとも豊かな地域の一つと して見
事 に復活した。かつては一木一草生えない荒野であったことを知る人はだんだ
ん少なくなってきた。用水路は全長27㌔㍍、灌漑面積三千数百㌶、約16 万
人の人 人の生活の復興に留まらず周辺地域にも繁栄が広がりつつある。他の地
域に訴えていることは「戦争する暇があったら食料を自給する努力をせよ」とい
うことだ。

干ばつは進行している。温暖化によってヒンズークシ山脈に積もった雪が春先
から夏にかけて一気に溶けるため洪水が起こり、低い山山の地下に水が 染みこ
む 余裕がなく、万年雪が減っているために地下水が減ってカレーズが枯れ、大
河川では川の水位が下がって取水できなくなり干ばつが起きる。想像もしな い
ような 大洪水が起きると同時に渇水も起き、そのために難民が増える。国外に
出ても町に出ても職はなく、やむを得ず武装勢力や政府の傭兵となる者が増え、
ますます 治安が悪化する悪循環が進行している。
 
このなかで私たちは、現地に適した取水技術の確立・拡大を目指して活動を続
けている。暴れ川を制するには自然と上手に折り合いをつけることが重 要で、
洪 水が来ても被害を最小限に抑え、渇水になってもある程度の水をとり込む。
昔の人の技術、考え方をとり入れて活動を進めている。安定した水の供給に
よって農 業を回復させ、難民を村に呼び戻すことをめざして少しずつ計画は進
んでおり、1万6500㌶、6十数万人が生きていける環境が整っている。これ
を モデルに 広げたい。

政治にしろ戦争にしろ人間と人間だけの問題にとらわれてしまうが、人間と自然
が折り合って生きていくこと、これを誤ると学者の中にはこのままい くと地 球
は一世紀も持たないという人もいるほどだ。危機感を持ち、われわれはどう生き
ていけばいいか、医療の整備、平和、戦争を考えることで私たちに非常 に大き
な示唆を与えてくれるのではないかと思う。

◆質疑応答

質問 用水路などをつくるうえでの知識はどのように得たのか。

中村 知識はだれも教えてくれない。いかにしてつくるかという気持ちがあれ
ば、基礎的な水利学的な計算を学ぶことは、それほ ど難しいものではない。実
際の水利施設に足を運んで観察し、コピーすることから始める。昔の人は緻密に
計算しながらつくっているわけではなく、お そらく経 験だけのはずだ。試行錯
誤の積み重ねで最終的に完成したのだと思う。郷土史にもどうやってつくったか
はほとんど残っていない。ということは普通の 人にもで きる製造過程だという
ことだ。これを模倣することから進めた。河川工事は試行錯誤のくり返しだった。

質問 何十年も活動を続けられる原動力はなにか。

中村 仕事上「疲れたからやめよう」というわけにはいかない。早く作業から
引き揚げたいと思ったことは何度もあるがここで自分がやめると何十万人が困る
という現実は非常に重たい。また多くの人が私の仕事に対して希望を持って何
十億円という寄付をしてくれている。その期 待を裏切 れない。なによりも現地
の人たちに「みなが頑張れば、きちんと故郷で1日3回ご飯が食べられる」とい
う約束を反故にすることになる。日本では首相 までが無 責任なことをいう時代
だが、十数万人の命を預かるという重圧は、とても個人の思いで済まされるもの
ではない。みなが喜ぶと嬉しいもので、それに向 けて努力 することが原動力だ
と思う。

質問 食べ物は。

中村 ナンが主食で、カレー味のないカレーのようなものを食べる。豆が多く、
普通の貧しい人たちは1年に1、2回しか肉を食べない。

質問 学校はあるのか。

中村 今は国民学校がある。以前から教育はおこなわれており、モスクを中心と
した伝統的なマドラサが今でも田舎では教育の中心で、国民教育と並行 して お
こなわれている。教育とは「親が死んでも自立して生きていける生活の手立てを
与えるもの」と考えられており、農村では 家の手伝いをすることそのものが 教
育だ。「読み書きができればいい」と考えている人がほとんどではないか。学校
に対して生徒が多く、就学率も増えているため三交代 制をとっている。都市部
では近代的な教育を受けた子どもたちが農村を捨てて都市に出て行くことが問
題になっている。教育そのものより、中身が重要ではない かと思う。

質問 アフガニスタンの人たちは、日本人をどう思っているのか。

中村 もっとも親密に感じているのが日本だ。独立記念日が同じだと思っている
ほど親密に感じている。彼らにとって「日本」と聞いて連想するのは長 崎、 広
島、日露戦争だ。どこに行っても知らない人がいない。

日露戦争の評価はひとまず置いて、100年前のアジア世界では、日本・アフ
ガニスタン・タイを除く全アジア諸国が欧米列強の植民地・半植民地 だった。
そ の時期に極東の小国・日本が大国のロシアと戦争して負けなかった。このこ
とが非常に大きな励ましとなり、アフガニスタンでは世代から世代へと語り 継
がれて いる。「日本はちっぽけな国だが、理不尽なことに対しては、たとえ相
手が大きくても屈しない、不撓不屈の国」という誤解が生まれている。

広島、長崎についても、同情心だけではない。アフガニスタン自身もロシアと
戦い、イギリスを撃退して現在の体制を整えてきた国で、その経験から 「羽振
り のいい国は必ず戦争をする」といわれる。日本も同じように戦後の荒廃から
立ち上がった国だが、一度も外国に軍隊を送ったことはないという信頼だ。 日
本人は 国連職員よりも安全だというのが一昔前まで一般的だった。しかし、そ
のメッキが少しずつはがれつつあるのが現状だ。

質問 アフガニスタン人の視点から見る現在の日本の積極的平和主義を掲げる動
向、また日本人についてどう思うか。

中村 日本に帰ると別の惑星に来たように感じる。第一に元気がない。アフガニ
スタンでの最高に近い医療が受けられ、恵まれている割にみな不幸な顔 をして
おり、自殺が多い。アフガニスタンは貧しい国で、他殺はたくさんあるが自殺は
ない。日本の政権についてはこんなバカな政権は ない。向こうではみな権力に
対して従順でない気風がある。対照的に日本人ほど権力に弱い国はないと感じ
る。現政権がアフガニスタンに出現したとするなら、 もう何十回か暗殺されて
いる。その点が日本との違いだ。個人的なことをいうと憲法に従う義務はある
が、政権に従う義務はないと考えている。

質問 現地で活動するにあたって立場や価値観の違いがあると思うが、親交を深
めるためにしたことはなにか。

中村 とくにないが、試行錯誤を重ねて体得していった。違いを強調するより
も共通点をみつけていくことだ。私はキリスト教徒で敵 の宗教だが、彼らはそ
ういう狭さは持っていない。

質問 作物はどういったものがとれるのか

中村 穀類ではコメ、小麦。野菜は、日本で見る野菜はほとんど向こうがルー
ツ。西のつく野菜や、胡麻や胡瓜など「胡」のつく ものはほとんどアフガニス
タンや中央アジアが原産だ。南米産のルーツのものも手に入る。違うのは肉。大
豆、豆類を中心にタンパク質をとり、ときどき動物性 のタンパク質をとる。

質問 次のリーダーを育成するためにどのようなことを考えているか。

中村 現地でリーダーが育っていくことを期待して仕事を進めていきたい。学歴
より、現場は徹底した現地主義。人材は現場で育てるということを徹底 してい
けば実質的な指導者が自然にあらわれてくる。しかも生きるか死ぬかの問題だ。
英語も日本語も通じない人でも「これは」 という光る人がいる。やがてそのな
かからリーダーが出てくると確信している。

質問 治安は悪いと聞くが、新しくできた農村、灌漑施設、病院、先生個人の警
備は警察がしているのか。

中村 現地には日本のような厳密な警察組織はない。それでいて回る共同体だ。
自分の身は自分で守るのが鉄則。日本人がよく 「丸腰で活動するなんて」とい
うが、現地は百姓と武士の区別がない。500人作業員がいて、もし作業を妨害
するグループがあらわれたとすると、ラ イフルや 小銃などを持って集まって、
すぐに一個中隊ができる。普通は鉄砲を見せびらかさないが、潜在的な武力を
持った準武装集団だ。用水路を守るためには みなたた かう。しかしその必要が
ないよう、まずは平和的な交渉をしていこうとしている。

私もみなに守られている。用水路は命にかかわるので、「中村とは運命共同体
だ」ということで大事にしてもらっている。その地域で役立つ人間であ る限
り、 私は身の危険を感じずに済む。作業員のなかにはイスラム国やタリバンな
どもたくさんいるが、彼らのなかには、やむをえず傭兵になった人がたくさん
いる。敵 かどうかは、自分たちと運命共同体であるかどうかと密接に関係して
いる。路上では爆弾事件が増えているので注意はするが、作業場ほど安全な地域
は ない。




スポンサーサイト
コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



copyright © 悪徳ペンタゴン打倒のために集まろう all rights reserved.Powered by FC2ブログ