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DATE: CATEGORY:日本の風景

続・戦争未亡人の声<本澤二郎の「日本の風景」(3410)

<戦死の夫を6年、形見の一粒種の娘と「岸壁の母」>

 あの時代の夫婦の絆は、鉄よりも強いことがわかる。

 「帰ってきたのは、英霊と書かれた紙きれの入った小さな軽い木箱が一つ。主人が発っていった木更津の港に、娘と二人で待った日もありました。もう帰ろうというと、娘が帰らない、というんです。お父ちゃんが帰るまで待とうと」

 「娘が小学校に入るころまででしたから、戦後の6年、ずっとそうしていたんですね」

 政府からの戦死報告も信じることなく、必死で、夫の形見であるひとり娘と「岸壁の母」になりきってきた助産婦の影山よしさんに、人間であればだれもが涙が零れ落ちるだろう。小学校に入る前までというと、幼児も物心つくころである。この時のことを思い出すと、父親の顔も知らないで育った痛々しい戦争遺児の、人間の殺し合いでしかない戦争への憎しみは、いかばかりであったろうか。

 

<防空壕にも入れず、恐怖の真っ暗闇の中での自らの出産>

 賢明とは全くいえない政治リーダーを目の前にしている日本人の哀れさは、時計の針を74年前に引き戻すと、因果応報とはいえ、より無能で無責任なリーダーらの存在に、改めて心底怒りがこみあげてくる。

 戦後の教育に近現代史を排除してきた原因・理由が見えてくるだろう。靖国神社は、文句なしに「戦争神社」だ。いま改憲派の中心となっている。夫を奪われた戦争未亡人と戦争遺児が、神社参拝を拒絶した理由であろう。同じく神社参拝を拒否して獄死した、初代の創価学会会長に彼女らは共鳴したはずである。二代会長も入獄、その悲惨な体験から悟ったであろう教えを、三代の池田大作に伝授した。この池田の教えを戦争遺児は真摯に実践、安倍にぶら下がった裏切り者の太田ショウコウを断罪、同じく沖縄の野原善正が山口那津男に鋭い槍を突き付けている。因果応報を回避する手段はない。

 

 戦争遺児が誕生する場面は、戦争未亡人が語るだけでも、それは小説や映画でも紹介できない深刻で複雑なものだった。

 その日は、敗戦濃厚な房総半島の上空を連日連夜、米軍機が襲来、空襲警報の不気味なサイレンが鳴り響いていた。

 「私の子供が今まさに生まれようとしてる時に、防空壕にも入れない中での、真っ暗闇での出産は、本当に恐ろしいものでした。近所のおばさんに手伝ってもらい、無事に女の子を産んだのですが、それは生きた心地がしませんでしたよ。運が悪ければ爆弾で親子とも死ぬ場面でしたからね」

 「自分が助産婦として赤子を取り上げるときは、サイレンにも動じないで、真っ暗闇でも恐怖感はなかった。新しい命を誕生させることに、勇気をもらえたのでしょうね。娘の出産後が、それはまた大変でした。それまでの産婆業に、新たに自分の娘の世話を、空襲警報の中で産婆をしながら生き抜くわけですから、言葉にならない苦労の連続でした」

 

 「夜中に何回も空襲警報が鳴ります。急いで防空壕に入るための準備が大変でした。あらかじめ暗闇の中でも、一人で子供を背負えるように、部屋にひもを用意、おむつと産着を入れた風呂敷包も。夏でも綿入れのはんてんを着て、防空頭巾をかぶって逃げるんです。だんだん戦争も激しくなって、火だるまになった飛行機が、軒のひさしすれすれに飛んで行ったときは、もうこれでおしまいか、と思ったものでした。そんな中でも子育てとお産は、待ったなしでしたよ」

 

 誰か彼女に慰労の言葉をかけてほしいものだが、誰一人いまい。命をはぐくむ壮絶な生きざまに感謝、感謝であるが、彼女が手に入れたものは、ただ娘と生きるだけの、小さな家と小さな庭だけだった。

 

 戦争の最高責任者は、戦後、神から象徴の世界に潜り込んで、一切の責任から逃れてしまった。最近になって、清和会OBが「天皇制を廃止すべきだった。多くの国民の思いのはずだ」と語っていたが、確かに天皇制を除けば、日本国憲法は100点どころか200点のすばらしい国民のための憲法である。

 

<蚊の襲来に危うかった娘の命>

 なぜか出産のときは夜が多い。「真夜中、子供を背負って出かけると、途中の道でかがり火をたく一団に出くわすんですよ。竹やりを持った警防団も不気味でしたよ。親子二人きり、生きるも死ぬもこの子と一緒、産婆の時でもなんでも、この子と一緒でした。ですから娘には、ずいぶんとかわいそうな思いをさせました」

 

 危うく娘の命が消えそうになった瞬間もあったという。

 「その家庭は、東京から疎開してきた家族は4人でした。親類の家も狭い。確か物置の三畳間しかない。仕方なく子供を背負ったままで。夜中の二時ごろでしたね。お産を終えて、背中から子供をおろして肝を冷やしました。物置の裏手が竹藪だったせいで、すっかりやぶ蚊の餌食にされていたんです。目がはれ上がって見えなくなっていましてね。その時は、こんなことをしていたら、今にこの子を殺してしまう、そう思いました」

 

 今日では想像さえできない。物置の三畳間での出産。蚊取り線香もない真夏の深夜。産婆さんの子供を面倒見てくれる人もいない。もうこれだけでも、戦争の恐怖を物語っている。

 なぜこんな戦争をしたのか。因果応報とはいえ、一国の政治リーダーの無能に怒り狂うしかないのか。平和軍縮派の宇都宮徳馬の解説は「日米開戦の契機は、日本軍の中国侵略。撤退すれば戦争にならなかった」である。撤退すると、手に入れた巨大すぎる各種利権と資源を失う財閥と軍閥が抵抗した。これに棹差した天皇以下の無責任為政者によって、無謀な日米開戦となったものだ。ナチス・ヒトラーへの妄信も災いした。

 最終的には天皇責任にある。誰もが知っている真実である。

 

<母子に襲い掛かる痴漢・強姦魔>

 悲しみの連鎖、苦悩の連鎖を体験した人なら理解できるだろう。戦争未亡人と戦争遺児のそれらを。母子で生きることは、今日でも厳しい。世間の目は冷たい。

 「東京からの疎開者を入居させるので」という理由で、間借りしていた家を追い出されてしまった。幸い、夫の姉の助力で、畑の中に古いトタン屋根の家を建てたのだが、まもなく痴漢・強姦魔が襲い掛かってきた。

 「夜になると、どこからか男が戸をガタガタと揺さぶってくる。この時の恐怖は、それこそ空襲警報のサイレンの恐怖どころではなかった。畑の中の一軒家、娘と二人抱き合ってふるえていました」

 

 こうした事態を世の男たちは、しっかりと理解できない。TBS山口強姦魔事件を処理した官邸の男どもは、理解不能であろう。偉そうな言動を吐く面々も、である。参院議長になった山東昭子はどうだろうか。

 

 「しょぼつく雨の中を出かけようとすると、娘は一緒に行くといって泣いてついてくるのを、心を鬼にして家に残したことも。夜が白々と明けるころ、娘とお産を終えて帰ることもありました。苦しいことばかりでしたよ。ですから、主人がいてくれたらなあ、といつも考え込んでしまいます。戦争はこの世の悪魔ですよ。再婚の話は何度もありましたよ。でも、亡くなった人に対して申し訳ないと思いますからね」

 

<2100人の命を誕生させた助産婦は戦争未亡人>

 人間の運命は多くは悲劇の連鎖かもしれない。息子を55歳の時、医療事故で植物人間にさせれて以来、人生は暗転。ジャーナリストの活動にブレーキを掛けられた。二度目の医療事故死(東芝病院)と、反省謝罪なしに、続く妻の後追いに追い込まれ、さすがにお手上げ状態を強いられてしまった。

 

 しかし、影山家の悲劇は、我が家のそれをはるかに超えている。母親は2100人余の命を誕生させた。にもかかわらず、夫を戦争で奪われてしまった。それでも6年間、生きていると信じて、木更津港の岸壁に立って、永遠に帰らない夫の帰りを、娘と二人して待ち続けた。

 

 この無念・悲劇を体験した日本人は、ほかにいないだろう。

 

<戦争遺児はやくざ強姦魔に殺されて>

 顔も見たこともない、父の姿を追い続けて生きてきた、戦争遺児の無念・悲劇も耐えがたいことである。

 秋田の厳しい風土のなかで、3人の子供を立派に育て上げた戦争遺児に、なんと故郷のやくざ強姦魔が待ち構えていた。こんなにワリの合わない人生を体験させられた女性は、これまたいないに違いない。

 母子とも信仰の世界に身を置いて、苦難を切り抜けてきたのだが、遺児をやくざ強姦魔が見逃さなかった。犯人とその仲間も、同じ信仰者である。

 信仰で幸せをつかんだと思い込んでいた戦争遺児に、市民に姿を変えたやくざ浜名(事件当時50代半ば)の歯牙が襲い掛かった。やくざ強姦魔は、TBS山口強姦魔とは異質で、逃げることは不可能である。脅しに耐えられる女性はいない。衝撃で突発性の大動脈りゅう破裂、非業の死である。

 

<犯人は公明党創価学会に守られて?>

 この世に神も仏もいない。為政者の狂いが、人々の運命に襲い掛かる。

 戦争遺児が美人栄養士でなければ、強姦されることがなかったかもしれない。美人薄命は真実に相違ないが、犯人がいまだに逮捕されていない。千葉県警に何らかの圧力がかかっているものか。いずれ判明しようが、一部に「公明党創価学会がブレーキを踏んでいる?」との指摘も浮上してきている。

 

<創価学会婦人平和委員会に改めて深謝>

 創価学会婦人平和委員会は、今も存続しているのであろうか。この組織のおかげで戦争未亡人と戦争遺児のことが、人々の目に飛び込んできたことになる。

 創価学会や公明党に反発する人々は少なくないだろうが、この組織は本当に素晴らしい仕事をしてくれた。生々しい歴史の真実を遺してくれたのだから。日本の史家必読の本である。繰り返し感謝したい。

2019年8月20日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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